東京地方裁判所 昭和37年(ワ)3633号 判決 1963年12月11日
原告 野沢フミ子
被告 小沢喜代
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一申立
原告訴訟代理人は、被告は原告に対し二七六、八〇〇円及びこれに対する昭和三四年九月二八日以降右支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え、訴訟費用は被告の負担とする、との判決並びに仮執行の宣言を求め、被告訴訟代理人は主文同旨の判決を求めた。
第二主張
(原告の請求原因)
(一) 原告は亡小沢兼と同人の先妻チカとの間の子供であり、被告は兼の妻であつたが、被告と兼との間には四人の子供がある。
兼は昭和三三年四月一五日死亡したので右六名がその相続人となつた。従つて原告の法定相続分は一五分の二である。
(二)(イ) 兼は生前理研健康保険組合(以下訴外組合という)に勤務していたが、訴外組合では職員が在職中死亡したときは、職員退職給与金支給規則により死亡給与金を支給することになつている。右死亡給与金は、死亡を不確定期限とする賃金の後払いの性質をもつものであつて、受給者の死亡によつて当然に相続財産となる。
そして前記規則にもとづく兼の死亡給与金は二、二八六、〇〇〇円であつたから、原告は兼の死亡によつて訴外組合に対し原告の法定相続分に応ずる二七六、八〇〇円の死亡給与金債権を取得した。
(ロ) 仮りに右死亡給与金が賃金の後払いの性質を有せず、従つて相続財産にならないとしても、兼と訴外組合との間に、労働契約締結の際、兼が在職中死亡したときは前記規則の定める計算方法によつて本人の死亡を停止条件として相続人に対しその法定相続分に応ずる金員を死亡給与金として支払う旨の契約が成立した。
原告は昭和三三年九月頃訴外組合に対し右金員に対する受益の意思表示をしたので、そのとき訴外組合に対し二七六、八〇〇円の死亡給与金債権を取得した。
(三) ところが被告は昭和三三年九月二日原告の代理権がないのに拘らず、原告の代理権があるような領収書を出して訴外組合から前記(二)の(イ)又は(ロ)の債権を含む小沢兼に対する右死亡給与金全額二、二八六、〇〇〇円を受領した。
訴外組合は被告が原告の代理権を有しないことを知らなかつたので死亡給与金の全額を被告に支払つたのであるから、同組合の被告に対する原告の法定相続分又は同相続分に応ずる前記債務二七六、八〇〇円の弁済は民法第四七八条にいう債権の準占有者に対する弁済として有効であり、その結果原告は訴外組合に対して有していた前記二七六、八〇〇円の死亡給与金債権を喪失した。
従つて被告は原告の損失において右二七六、八〇〇円を不当に利得したのであるから原告に対し右金員を支払うべき義務がある。
(四) 仮りに不当利得の主張が認められないとしても、右に述べたような事情によつて被告は原告が訴外組合に対し死亡給与金債権二七六、八〇〇円を有することを知りながら、訴外組合から死亡給与金全額を受領して原告の右債権を喪失せしめたものであるから、被告は原告に対し不法行為にもとずく損害賠償金二七六、八〇〇円を支払うべき義務がある。
(五) よつて原告は被告に対し二七六、八〇〇円及びこれに対する原告より被告を相手方とする東京家庭裁判所昭和三四年(イ)第三七三七号遺産分割調停事件の申立の日である昭和三四年九月二八日以降右支払済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。
(請求原因に対する被告の認否)
請求原因(一)の事実は認める。
同(二)(イ)の事実のうち、兼が訴外組合に勤務していたこと、訴外組合は勤務者が在職中死亡したときは、職員退職給与金支給規則により死亡給与金を支給すること、兼の死亡給与金は二、二八六、〇〇〇円(但し税込み)であることは認め、その余の事実は否認する。
同(二)(ロ)、(三)及び(四)の事実は否認する。
(被告の主張)
訴外組合の職員退職給与金支給規則第六条によれば、死亡給与金は訴外組合で認める遺族又はこれに準ずるものに支給すると規定されているから、訴外組合は遺族の生活状況などを勘案し法律上の相続関係に拘束されることなく、真に給与金を必要とする者に支給することができる。そして訴外組合は右規則第六条にもとづき昭和三三年九月二日兼の死亡給与金二、〇七六、〇〇〇円(額面は二、二八六、〇〇〇円であるが税金二一〇、〇〇〇円を天引)のうち、妻喜代(被告)に七六、〇〇〇円、節子、正明、智子、省三の四名の子供に二、〇〇〇、〇〇〇円を支給したものであるから、原告が右死亡給与金債権を取得すべき理由はない。
第三証拠<省略>
理由
(一) 原告は亡小沢兼と同人の先妻チカとの間の子供であり、被告は兼の妻であつたが、被告と兼との間には四人の子供があること、兼は昭和三三年四月一五日死亡したので右六名がその相続人となつたこと、従つて原告の法定相続分は一五分の二であること、兼は生前訴外組合に勤務していたが、訴外組合では職員が在職中死亡したときは職員退職給与金支給規則により死亡給与金を支給すること、兼の死亡給与金は二、二八六、〇〇〇円(但し被告は税金を差引いた金額は二、〇七六、〇〇〇円と主張する)であることは、当事者間に争がない。
(二) 原告は、まず右死亡給与金は死亡を不確定期限とする賃金の後払いの性質をもつものである。従つて、受給者の死亡により当然にその相続財産となる旨主張する。
いわゆる死亡給与金の性格については、死亡者の生前の労務に対する報酬と認むべき場合も存するが、他方遺族に支給される弔慰金のように使用者の報償的給付と認められる場合の存することもあり、又は現実に死亡者の収入により生計を維持してきた遺族の生活保障の機能を果たさせるために認められる場合の存することもあり、或はそれらを帯有するものと認められる場合も存するであろうしするので、その性格を一定し、或はそれらのいづれかを原則とするように解するのは困難であり、畢竟死亡給与金の性格、従つてこれが相続財産となるかどうかは具体的な場合に応じ、死亡給与金の支給規定或は支給慣行その他の資料にもとづいて判断すべきものであると解する。そこで成立に争いのない甲第一号証によれば、訴外組合の職員退職給与金支給規則には、死亡給与金について次のように規定されていることが認められる。
第三条 退職金の額は其者の退職時における本俸、役務手当、家族手当の合計額にそれぞれ別表に掲ぐる該当支給率を乗じて得た額とする。
在職中死亡した者及び已むを得ない事業上の都合により解職された者については理事会の議決により前項の支給率を増すことが出来る。
第五条 在職中特に功労があつた者については此規程による退職金の外相当の慰労金を支給することが出来る。(後略)
第六条 職員が死亡した場合は組合で認める遺族又は之に準ずる者に支給する。
しかし、右規則だけからしては直ちに本件死亡給与金が原告主張のように賃金後払の性格を有するものと断定することはできない。むしろ後記認定に供する証拠等は照らしてみると原告の主張を認める資料としてはそぐわないものというべく、その他に原告のこの点の主張を認めるに足りる証拠はない。かえつて右規定、各原本の存在及びその成立につき争いのない甲第二、第三号証、証人宇野邦房の証言により成立を認める同第四号証並びに証人宇野邦房の証言によれば、訴外組合は組合の職員との間で訴外組合の就業規則である右職員退職給与金支給規則にもとづき死亡給与金の受給権者を組合が支給すべき者と認める遺族又はこれに準ずる者(配偶者、子、父母などの親族で職員の死亡当時主としてその収入により生計を維持していたもの)とし、その者に支給する旨を取決めたものと認められ、証人宇野邦房の証言中右認定に反する部分は右規定の趣旨を十分に理解しないで供述したものと認められるから措信できず、ほかに右認定を動かすに足る証拠はない。
仮りに右死亡退職金が賃金後払の性格を有するものと認められる場合があるとしても、本来相続されうべき財産権でも、被相続人は特定人との間の生前契約によつてその死亡の際に第三者をしてその財産権を取得せしめることができるのであり、このようにして除外された財産権は相続財産に属しないのであるから、右認定のとおり就業規則で訴外組合と組合の職員との間に受給者を組合が認めた遺族と取決めがなされている以上、組合の支給する死亡退職金が本来相続財産に入るべき筋合のものであるとの理由だけでこれを死亡した職員の相続財産とする根拠とはならない。
従つて原告主張の訴外組合よりその職員の死亡に関して同組合が支給する右死亡給与金は、訴外組合が職員の功労に対する報償として支給する慰労金(規則第五条)はもとより、死亡退職金(規則第三条)も職員の生存中にその遺産より離脱せしめられているものというべく、相続財産にならないと認めるのが相当である。
そして前顕甲第二ないし第四号証及び証人宇野邦房の証言並びに被告本人尋問の結果によれば、兼の死亡給与金二、二八六、〇〇〇円は規則第三条第一項第二項による退職金一、七八六、〇〇〇円(一、〇〇〇円未満切り上げげ)に規則第五条による慰労金五〇〇、〇〇〇円を加算した額であつて、昭和三三年九月二日訴外組合は規則第六条にもとづき同組合が支給すべき遺族と認めた亡小沢兼の配偶者である被告に対し右死亡給与金を、うち二、〇〇〇、〇〇〇円は銀行に預入れ、兼と生計を一にしてきた兼と被告との間の子である節子、正明、智子、省三の養育費にあてるとの支給条件を付して支給したもので、被告が原始的に取得した固有財産と認められるから、右死亡給与金が相続財産にあたることを前提とする原告の主張は理由がない。
(三) 原告は兼の死亡給与金が相続財産にならないとしても、訴外組合と兼との間で兼の死亡を停止条件として相続人に対しその法定相続分に応ずる金員を死亡給与金として支払うとの契約が存した旨主張するが、これを認めるに足りる証拠はなく、かえつて右死亡給与金は訴外組合が支給すべきものと認めた遺族のために支給せられるものであつて、法定相続人に支給する趣旨でないことは、前記(二)認定のとおりであるから、原告の右主張は理由がない。
(四) 以上の次第であつて、原告は兼の相続人であることを理由として訴外組合に対し死亡給与金債権を取得することはできないから、右債権の存在を前提とする原告の被告に対する不当利得並びに不法行為にもとづく本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 田中宗雄 竹田稔 岡崎彰夫)